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夏と花火と私の死体/乙一

死んだ後の自分の姿を想像したことがありますか。

ワタシはまだ死んだことがない(当然ですが)ので、自分の死体というものがイマイチ浮かんでこないのですが。

本書には2編の短編が収められていますが、標題作の主人公は死体です。

細かな描写が、死体よりも人間のほうが恐ろしいことを実感させてくれます。

夏と花火と私の死体 (集英社文庫)夏と花火と私の死体 (集英社文庫)
(2000/05/19)
乙一

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花火大会を間近に控えた9歳の夏、木の枝に腰かけていた『わたし』は隣に座っていた仲良しの弥生ちゃんに突き落とされ、『変な方向に体がねじ曲がって』死んでしまいます。

弥生ちゃんと『わたし』が好きだったその兄の健ちゃんは、『わたし』の死体が誰にも見つからないようにと、森の奥や、枯れた水田や、2人の部屋の押入れなど、あちこちに移動させるのですが…。



死体でありながら、『わたし』は主人公であるため、物語は彼女の目線で進みます。

行方不明になった『わたし』を思って泣いているお母さんの足元で、茣蓙に包まれた『わたし』がそれを見ていたり、死体が見つかりそうになって動揺している弥生ちゃんを冷静に観察していたり。

その中で、この設定ならではの表現といえば、これなのではないでしょうか ↓ 。

「わたしが腐って臭いだす。」



子どもは無邪気ですが、計り知れない残酷さも持っているように思います。

他人の気持ちを思いやることに未熟な子どもは、何のためらいも無く、他人を傷つけてしまいます。

そして、心だけでなく、身体さえも傷つけてしまうことがあるのかもしれません。



我が子がお友達と遊んでいるのを見ていると、相手の心をグサリと突き刺してしまいそうなストレートな発言の応酬に、ワタシのほうが戸惑ってしまうことがあります。

しかし、当の子どもたちがその後も屈託なく遊んでいるのを見ると、実は、一見残酷に見えるストレートな子どもの発言よりも、表向きは丸く整えているように見えても、こっそり刃の先に毒を塗ったような大人の発言のほうが残酷なのかも知れません…。



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